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世界を、そして日本を元気にするためのマネージメントに必要なこととは? 今回は、若者たちから“シュハリの先生”と慕われている前田昇さんにインタビューしました。 インタビュアーは中島とみ子です。


青山学院大学院の研究室にて


「シュハリ」の先生!

学生たちの多くが、「一番印象に残っている前田先生の言葉はシュハリ」と答えるという。
「シュハリって?」英語?フランス語?と怪訝顔の私に、前田さんは’修(守)・破・離’と紙に書いてくれました。
大学の先生になった9年前のこと。さて、大学で何を教えようかと考えたとき、この言葉が浮かんだそうです。’修(守)・破・離’とは、中国の武道や日本の能楽で使われている言葉。’修(守)’は、いろいろな武術、それらがどんなところから生まれてきたのか、どんな技があるのか、そういう知識を得ること。’ 破’は、知識を得た上で、まてよ、時代は変わってきている、私のポジションはちがって来ている、と考えを変えること。’離’は、今までの教えや考えから離れて、自分流のクリエイティブな考えを創っていくこと。
「学部生までは’修(守)’を、そして大学院では’破’から’離’への方向性を見つける手伝いをしたい。」と話す前田さんは、まさに「シュハリの先生」、「クリエイティブの先生」という言葉がぴったり。

大学院のゼミ風景。世界展開している企業を事例に、成功している点、失敗している点など、活発な議論が行われていた。

前田さんの人生における’修(守)・破・離’

高校時代までを過ごした大阪での生活が’修(守)’。18歳のときの大学受験と、その結果大阪を出ることになったときが’破’。高崎へ向かう列車の中で自分の見方、考え方の基軸を変えた。そして、大学時代、所属した高崎経済大学英語サークルで、「話せなくて、何が英語劇!」と、英語劇中心だったそれまでの活動を、話せる英語サークルへと改革した。何を読んでも、何を見てもそれは本当だろうかと考え、自分の意欲で学び始めた。このときが’離’。経済学にはあまり興味がなかったけれど、シュンペーターの本に出会い、夢中で読んでいた。”創造と破壊’という言葉もこのころ知った。

アメリカでの生活

大学卒業後は、日本IBMに就職。その後、英語力を買われアメリカのIBM本社で働くことに。前田さんに、そのころを振り返って話していただきました。

始めてニューヨーク空港に着いたときは、大変だった。
どのバスに乗ったらいいのかわからず聞くと、そこにフリー電話があるからそれで案内を聞くように言われ、電話をかけた。ところが、まったく聞き取れなかった。一言もわからなかった。「もういっぺん言ってくれ」とか「ゆっくり言ってくれ」といったがだめだった。仕方なく、電話を切った。そのときは、一瞬えらい(大変な)ところに来たと思った。後になってわかったことだが、電話案内の人の言葉が、スラングだったようだ。
アメリカで生活することになり、子供や家族は大変だろうと心配したが、5歳の子供は半年でなじんでいった。僕自身は、アメリカに行ったときには’納得’という感覚だった。英語に対する抵抗はまったくなかったし、アメリカでの生活は、とくに違うなとは思わなかった。
僕は、小さいころから、人のやらないことをやってみたいと思っていた。そんなところが日本では天邪鬼として受け取られるが、アメリカではそれでよかった。組織、家族を第一に考える日本に対して、アメリカでは個人が基本になっている。個人を前面に押し出すことのできる、アメリカでの生活は、僕にとって水を得た魚のようだった。日本で天邪鬼の僕が、アメリカでは普通になったのだ。

IBMからソニーへ

アメリカ(IBM本社)で働いていたときは楽しかった。そこでは、世界各国の人が集まって、世界をどうするかということを考えていた。イタリア人の部長、ドイツ人の部長そして、社長はフランス人だった。アメリカ本社から、IBM日本支社に戻ってからは、つまらなかった。そんな時、たまたま見ていた新聞に、「ソニー社員募集」の広告があった。アメリカでチラッと見かけたソニーの盛田会長の姿が浮かんだ。彼はIBMの社外取締役をしていた。日本にも彼のような国際人がいるのだと、印象に残っていた。
IBMには内緒で試験を受けた。受かった後、IBMの役員を前に、「IBMの本社に行かせてくれるならばOK。そうでなければソニーにいく」といった。IBMからソニーへは「ヘッドハンティングしないでください」とのクレームがいったらしいが。
ソニーに移って、給料は4割ダウンした。外資系のIBMのほうが給料は良かったが、お金の問題ではなく、世界を相手に仕事をしたかった。33歳のときのこと。

‘フェリカ’開発担当

ソニーで、JR・スイカ(Suica)のもとになっている’フェリカ’の開発を担当したのは今から13年前。技術屋さんが’スイカ’を持ち込み、「これで商売をやりたい」と言ってきた。
他の人は、「商売にならない」と逃げた。10年間利益が出ないもので、商品になるのに5〜6年かかるといわれていた。
「よし、俺が変えてやれと思った」
‘電子財布’のビジネスモデルを作って、ソニーのビジネスモデルになると思った。想定する競争相手は、お金。全部の店で使えるか、全員に持たせるか。全員に持たせる方向で商品化を進めた。誰も靴を履いていないから売れないと思う人と、履いていないから売れると思う人の両方がいる。物事がどう動くかは、ちょっと触ってみたらわかる。ドラッガー『すでに起こった未来』にあるように、未来を予測することはできないが、予兆を見抜く力、これをノイズと思うか予兆と思うかで、その先が変わってくる。

現在の’フェリカ’の広がりについて感想を求めると、
「今の時点でもう海外で普及しているくらいになると思っていた」と、前田さんらしい答えが返ってきました。

グローバルインターグレーションの可能性、企業内の個人の手に

「国境を超えるのは、組織ではなく、その中でクリエイティブな考えを持つことのできる個人である。」企業の組織力が国境を超えていくキャッチアップの時代を終えた今、企業は、個人の独創力、リーダーシップで国境を超えていく。
国際人として、企業を内外から見つめてきた前田さんは、国際的な企業で活動する個人が、マネージメント力を養うことの必要性と重要性を強調する。マネージする力は、あらゆるレベルにある。都会でも、田舎でも。技術的な先進性はあまり関係ない。マネージメント力は、まず発想から。その発想は個人についているもの。個人が異質なものや多様性に触れることによって発想が変わる。
「企業でも、大学でも、その人のいいところを生かせる人を、方向付けするのが、僕の仕事だと思っている。」
多様な創造と破壊のできる個人が、イノベーション、変革を起こすことができる。そして、グローバルインターグレーションのトリガー(ひきがね)をかけるのは’修(守)・破・離’を乗り越えた個人なのだ。

人を和ませる人懐っこい関西弁、インタビューの間に時折見せる少年のようないたずらっぽい瞳の輝き。異質性と多様性を受け入れ、常に創造と破壊とを目指してきたその生き方は、日本的組織人の権力志向とは無縁の領域で、前田さん個人の魅力となって、輝かしいプロフィールを積み重ねてきたように思われました。

そんな前田さんが今注目しているのが、日本的マネージメント力を発揮できるセブンイレブンの世界展開。大企業での経験を持つ前田さんだからこそ見える小売業の未来。日本経済を活性化するための次のマネージメントが、前田さんには見えてきているようです。

プロフィール
1944年大阪府堺市生まれ
日本IBM、米IBM本社、ソニー本社本部長、米ソニー本社VP、欧ソニー本社Director
1999年高知工科大学大学院起業科コース教授、大阪市立大学院教授、青山学院大学院国際マネージメント研究科教授(2007年現在)

前田昇さんのホームページ
http://www.noby-maeda.com

前田さんの著書等の指定図書(青山学院大学の図書館)。いつ誰が行っても読めるように持ち出し不可になっている。

(中島とみ子 2007.12)


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