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マーゲイトからケンブリッジへ向かう前の4日間を、ロンドンで過ごしました。
滞在したのは、ピカデリーサーカスの中央に建つ「エロスの像」のすぐそばのホテルでした。
’いったいどこから集まってくるのだろう’と不思議に思うくらい、毎日、毎日、ピカデリーサーカスは人々であふれていました。エロスの像の台座についている階段には、いつもたくさんの人たちが腰掛けていました。そこに集まっている人たちは、特別、何をしているわけでもありません。毎晩、夜遅くまで人々のざわめきや話し声が、ホテルの部屋にも聞こえてきました。
ピカデリーサーカスのサーカスとは、「道が集まるところ」の意味だそうです。
私たちも、トラファルガー広場・大英博物館・自然史博物館・三越デパート・チャイナタウンなどへの行き来に、毎日、ピカデリーサーカスを通っていました。
そのうち、私は、ピカデリーサーカスには、人々は目的があって集まるのではなく、集まることが目的なのではないだろうかと思うようになりました。
私は、ピカデリーサーカスに集まっている人々に、ヨーロッパの市民社会の広場のイメージを重ねたのでした。
何本もの道に導かれて集まった人々は、そこで出会った人たちと、お互いに会話を交し合う。そんな楽しみ方を知っている人たちの集まる場所なのではないだろうか。’そこに集まっていることに意味があるのだ’と気づいたのです。
ピカデリーサーカスは、人々を受け入れる空間の広がりをもち続けてきたように思います。
人々を受け入れる点では、信号機のついた交差点でも同じでした。人々は、信号が赤でも自動車が来なければ渡ります。規則を守ること以前に、人間中心の空間に魅力を感じてしまいました。
日本では、道が集まるところは四辻(よつつじ)・三つ辻(みつつじ)など、「辻(つじ)」と呼ばれていますが、そこには、人々が集まって議論のできる空間は、物理的にも精神的にも用意されてきませんでした。
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ヨーロッパの市民社会の歴史に思いを馳せる一方で、私のピカデリーサーカスでの思い出は、1日目の夕食に食べたカツ丼のおいしさと、2日目に食べた回転寿司の値段の高さ、それに、3日目のチャイナタウンでの中国料理の豪華さでした。
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