2011ザラバードへ

2012年1月21日

ボートのついた場所からザラバードまでは、岩山に刻まれたギザギザの道を上っていきます。この道は、フセイニの女性たちが毎日通っている道です。写真②は2006年のもので右下に吊り橋がありますが、その時に比べると水位は10m近く上がっているように見えます。

岩山の縁を通る道に、枯れた草が散らばって落ちていました(②)。少しのぼると、道幅は狭くなり、水かさの増したフンザ川をはさんで見るフセイニ村は、吊り橋があった時よりも遠くにあるように見えました(④)。

登りきったところに、石で造ったベンチができていました。草刈りに行く女性たちは、左前方に続く比較的広い道を通ってザラバードまで通っています(⑤)。しかし、今回はこの先を少し行った場所から岩山を登り、その裏側を下ってザラバードへ行くことになります。写真⑥は、その岩山を4分の1くらい上ったところから振り返って、下の道をザラバードへ向かって歩いて行く2人の村人(女性)を撮ったものです。

写真⑦は、4分の1くらい上ったところで疲労困憊して一休みする私と付き添うファイサルです。眼下には、シシカット、グルミット、グルキン、そしてフセイニの村々が、アッタバード湖の縁に航空写真のように見えていました(⑦)。一方のパスー側には、見慣れた山々とフンザ川が一幅の絵のように美しい風景を見せていました(⑧)。

一休みしてからゆっくり上っていくと、先行する皆はもうかなり下っていました。写真⑨の右下の岩の上に彼らの姿が小さく点のように見えています。ここから彼らは、砂の急斜面を下って行きました(⑩)。

急斜面は、斜めにジグザク線を描くように下りると教わりましたが、彼らはそのようにして下りて行っているようでした(⑪)。急斜面の間にザラバードの緑が見えました(⑫)。

ザラバードは、フンザ川の東側の扇状地に広がっています。

ちなみに、帰りは写真⑥で二人の女性が歩いていた道を通りました(⑭)。平らな道でしたが、ここにも、人びとが崩れないように、歩きやすいように、常に整備してきた様子がみられました(⑮)。写真⑯はフセイニ側から撮ったものですが、左端のザラバードから右へ平らに走っている筋が写真⑭の道です。
 

フセイニ村にとって対岸のザラバードは、かつては夏の間の家畜の放牧地であり、また、主食用の小麦を栽培する場所でした。吊り橋が流れてしまい、また下流のシシカット橋がアッタバード湖に沈んでしまった現在、以前と同じように日常的な利用ができなくなっていても、村人にとってその重要性は失われていないようです。

写真/文 山本質素

Posted in: フセイニ — tomika @ 12:30:52

2011フセイニの吊り橋

2012年1月18日

農牧業を生業としてきたフセイニ村には、フンザ川をはさんで対岸にザラバードと呼ぶ耕作地があります。写真①で右側がフセイニ村、左手前にザラバードが見えています(①)。

フセイニとザラバードは吊り橋で結ばれていましたが、アッタバードの崖崩れによる増水で吊橋は流されてしまっていました。写真②③は2006年のつり橋の様子です。吊り橋は、フセイニの女性たちがザラバードへ草刈りに行くために使う橋でした。私は、2006年にその吊り橋を渡って対岸まで行きましたが、吊り橋の高さは水面から6メートルくらいで、踏み板の間隔は広くあいていて、また半分くらい進むとかなり大きく揺れるので、思わず足がすくむほどでした。

2011年、ボートでザラバードに渡る私たちが目にしたのは、上部の綱だけが水面に残されただけの、すっかり水没してしまった吊り橋でした。写真④はフセイニ側、写真⑤はザラバード側に残されたロープです。

そして、ロープの一部はフセイニの船着場より南側の岸に打ち上げられていました(⑥)。

ザラバードに渡るボートには、私たち一行のほかに、運転手とエンジンの様子を見る人(⑦)、それに若い男性2人が一緒に乗り込みました。船着場を出発して約10分後、私たちを乗せたボートは、ザラバード側の岩山に近づいていきました。

写真⑨で、右から6分の1のところが吊り橋のあった写真⑤の場所です。そこを少し過ぎたところ、折れ線グラフのような道が湖と接する場所(写真⑨で2分の1付近)に、ボートが着きました(⑩)。

シャルワールカミーズ姿の若い男性がボートから飛び下りて、岸でボートの先端につないだ綱を引っ張ってくれていました。もう一人のジーンズ姿の男性は、みんながボートから降りる手伝いをしていました(⑪)。私たちを下したボートは、船着場へ戻っていきました。対岸に見えている村がフセイニです(⑫)。

流れの速いフンザ川に橋を造ることは難しいため、上流のパスー村、このフセイニ村、そして下流のグルミット村に吊り橋がありました。フンザ川がアッタバード湖と呼び名を変え、グルミットとフセイニの吊り橋は流されてしまいました。

写真/文 山本質素

Posted in: フセイニ — tomika @ 9:00:57

2011船着場で働く人びと

2012年1月15日

10時半すぎ、フセイニの畑があるザラバードへ渡るために、再び船着場に行きました。船着場へ続くカラコルムハイウェー沿いには、いくつものテントや小屋ができていて、路肩には、スズキやバントラックなどが並んでいました(①)。’スズキ’は乗り合い軽トラックのことで、最初に、日本のスズキ製の軽トラックを改装して乗り合いにしたために、パキスタンでは、乗り合い軽トラック全般を’スズキ’とよんでいます。

ふと気付くと岩屋の中にたくさんの人たちがいるのが見えました(②)。彼らは、荷積みを手伝うために、この場所で待機しているようです。カメラを向けると、手をあげて笑顔で答えてくれました(③)。この時間は、まだ荷運びのデコレイトトラックもボートも到着していないので、集まって休んでいるようです。毛布か布団にくるまっている人も見えるので、ここで寝泊まりもしているのかもしれません。

カラコルムハイウェーをはさんだ空き地には、パキスタンの村でよく見かける四角い箱型の店舗が、いくつもできていました(④~⑦)。写真⑦で店に立ち寄っている男性は、フセイニ村で学校の先生をしているフィラサットさん、その前を歩いている二人は旅行者のようにも見えます(⑦)。

ハイウェイから道を下り、ボート乗り場へ着いて振り返ると、大勢の人たちがボートの方を見ていました。左側の2人は観光客を待つドライバーのようです。その右隣に集まっているのは荷積みを手伝う人たちでしょう。店舗の主人らしい人も見えます。右側に停めてあるスズキとバントラックの間にいる2人もドライバーのようです。彼らは、荷物を積んでやってくるボートや、乗ってくる観光客を待っている風情でした(⑧)。

船着場の横の河原にも、たくさんのテントが張られていました。湖のほとりで鍋を洗っている若者(⑩)もいて、これらのテントで食事をしたり寝泊まりをしている様子がうかがえます。

船着場では携帯電話も使われていました。湖のそばで坐って、また歩きながら携帯電話をかける人たちは、アッタバードの船着場からくるボートと連絡を取りあっているのでしょうか(⑪)。デコレイトトラックの運転手らしい2人はアドレス交換をしていました(⑫)。

この日、船着き場には、潜水艦を模した赤い船も泊まっていました。この船が何なのかガイドさんに聞いてもわかりませんでした。観光客相手のレジャーボートかもしれません(⑬)。

フセイニの船着場を、この日、対岸にある岩山から撮った写真が⑮です。右上から湖へと向かっている道路がカラコルムハイウェー、店舗(④~⑧)やテント(⑨⑩)があった場所は、カラコルムハイウェーの右下になります。

穀物栽培と牧畜を組み合わせた伝統的な農牧業を生業として、79世帯、564人(2002年)が暮らしてきたフセイニ村[落合・水嶋,2004:317]に、アッタバード湖の出現によって船着場ができました。そして、荷役労働者、デコレイトトラックの運転手、スズキやバントラックの運転手、商いを目的とした人たち、たくさんの人々がこのフセイニの船着場に集まってきています。

 (参照:パキスタン北部地域ゴジャール地区の地域開発による生活の変化 落合康浩・水嶋一雄 地学雑誌Vol.113,No2(993),2004)  

写真/文 山本質素

Posted in: フセイニ — tomika @ 9:00:40
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