ファイサルの結婚式

2008年8月29日

ファイサルが結婚した2004年のときの写真を見ながら、ファイサルのお母さん(メールルニーサ)に、パスー村の結婚式について話を伺いました。

以前は、婚約して1~3年くらいしてから結婚式を行っていましたが、最近は、6ヶ月後には結婚式をしてもよいようになりました。私(メールルニーサ)のときは、婚約後1年たって結婚式をしました。

結婚式は、仕事のない冬に行われます。パスーの冬の気温は20度くらい。 村の人が、結婚式の5日前からパンを作り始めます。お嫁さんはこの間は、なにもしないで、お客のように自分の家で友達と話をしたりして過ごします。

5日前、パスーの村の人たちは皆、朝お祈りの後、花婿の家と花嫁の家の両方に集まり、女性たちがパンを作り始めます。男性たちは、山から木を引いてきたり、カードのプレイなどをして過ごします。4日前~2日前、やはりパンを作っています。

1日前になると、肉料理を作り始めます。15匹から18匹の羊を殺して肉料理の準備をします。昔は、パスー村の人たちや、近くの村の親戚たちが、土産として生きた羊を連れてきましたが、最近では羊の肉を包んで持ってきます。

結婚式当日はフラワール・アブラール(羊の脂肪の料理?)を大きな鍋で作ります。

①、②ファイサルの結婚式前日の花嫁。宝石のような飾りが下がったスキーズに白いスカーフ姿です。

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花嫁は、親戚の女性や村の女性たちと一緒の場所ですごします。

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写真④⑤は、結婚式の前日に、花嫁の掌にメンディを描いているところです。メンディ(ヘナ)は、2002年に、インドの映画を見て導入されたカルチャーで、メールルニーサのときは、爪にサーロングをしたそうです。

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花婿も、親戚や村の男性たちと一緒にすごします。写真⑥は、花婿のファイサルが、結婚式用の衣装を着ているところです。

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結婚式のセレモニー。

新郎の家に行って、ミュージシャンの音楽に合わせて踊りを踊ります。パストラーシュにミュージシャン(3人)が座り、村の人がヨジシュで踊りますその後、花婿の家に行って少し踊った後、花婿、花嫁とその友人たちが一緒にジャマティハナに行って、エンゲイジメント(結婚)の契約をします。村の人たちは家でご飯を食べて待っています。

写真⑦は家を出て、ジャマティハナに向かうファイサル。

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契約が済むと、花婿は花嫁を連れて家に戻ります。そして、花婿は、尊敬する人に最初に 「踊ってください」とお願いします。そして最後に花婿が踊ります。花嫁の家族の偉い人が順番に立って、スピーチします。

メールルニーサによれば、昔は女性も踊っていたそうですが、南の人たちの影響で、女性は踊らなくなったそうです。南の人たちとは、カラチ・ラホール・トライバルエリア(部族地域)などのシーア派・スンニ派の人たちをさすそうです。

(写真複写/文・山本質素)

パキスタンの結婚

2008年8月24日

パキスタン・フンザの調査旅行中、ほとんどずっと一緒についていてくれたファイサルさん。彼は、数年前に結婚し、現在、奥さんはイスラマバードで働いています。
写真は、ファイサルの結婚式の写真です。

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ファイサルは、パキスタンの結婚について、次のように話してくれました。

パキスタンでは、結婚するのに、お見合い結婚と恋愛結婚とがあります。
お見合い結婚は両親が相手を決めます。まず最初に婚約をします。婚約をする前に、お互いが一度もあわないこともあります。お見合い結婚は、相手を見なくても、両親が決めた人は良い人だろうと思って結婚することことが、良いからです。

お見合い結婚はうまくいくときも、うまくいかないときもあります。うまくいったときは、本人も両親も幸せになるでしょう。うまくいかなければ自分の人生は両親のために犠牲にすることになります。うまくいかなかったら離婚することができると思うでしょう。でも、イスラマ教では、男性として自分の相手を捨てることは恥ずかしいことです。

だからパキスタンで離婚する人の比率は少ないです。皆様が不思議に思うかもしれませんが、それで、ほとんどのカップルはお互いを好きになります。パキスタンのお見合い結婚は、宝くじみたいなものですが、たいていの人はそれで幸せになります。

パキスタンでは、恋愛結婚もあります。でもそれは、アメリカや日本や中国とは違っています。恋愛結婚は、パキスタンでは難しいです。

例えば女性は、男性を愛しても、自分の気持ちを誰にも言えないのです。逆に男性は、女性を愛した時、自分の気持ちを友達や両親や兄弟に言うことがでます、その時男性の親は、女性の家へ行って、結婚の話をします。女性の親は、そのことについて知りませんから、急に来た知らないお客を見てびっくりします。ここで、女性の親が承諾したら結婚となります。もし、拒否されたら結婚とはなりません。でも、全く知らない人が来た場合は、「いいえ」の方が多いのです。だから、パキスタンでは恋愛結婚はほとんどありません。

もし、恋愛結婚できたとしても、家族と気持ちが合わないこともあります。そういう相手では、男性も大変になって愛情も無くなることがあります。花嫁も毎日喧嘩をして、花婿に「別居をしましょう」といいます。別居は、パキスタンではほとんどないことですから、男性は両親を捨てられません。だからパキスタンでは、恋愛結婚より、お見合い結婚が多いのです。(ファイサル談)

ファイサルの話は、少し前の、日本の結婚について思い起こさせました。日本では、仲人(なこうど)を立てて、それぞれ相手の意思を確認していましたが、パキスタンでは、男性の親が直接女性の家を訪れて結婚の話をすることに驚きました。結婚ということが、結婚をする当人たちの問題以上に、親たちの問題であると捉える国や地域が、多く存在していることを再認識しました。

(写真・山本質素/文・中島とみ子)

シェルバーノさんの家

2008年8月13日

パスー村では多くの人々が伝統家屋で暮らしています。部屋の中央にカマドを残している家は少なくなってきているようですが、シェルバーノさんの家は今もカマドを使っています。シェルバーノさん(36歳)は、私たちにお茶をふるまうために、カマドのそばに座りました。手にしているのは、絨毯の上やカマドの周りの灰を、掃き集めるためのほうきです(写真①)。

②はファイサル家の間取りですが、シェルバーノさんの家もほとんど同じでした。シェルバーノさんのところでは、イィリー(ヨーグルトや牛乳などを置く倉庫)が増築されていました(写真③)。

写真④はフィナンドラージュ側のニッカールドに座る息子さんとネック・バフトナモーさん。そして写真⑤のツキフには下の息子さんが、お茶のカップを前に座っていました。

カマドに最初に入れるのは、パスー村のあっちこっちに生えているとげのある草木を乾燥させて細かくした、焚きつけ用の小枝です(写真⑥)。この小枝は、パスー村のほとんどの家の庭に、高く積まれています。シェルバーノさんの庭にも、屋根に上る梯子の向こうに積まれています(写真⑦)。写真の正面奥の木戸のついたところは家畜を入れる小屋、その右は、穀物を貯蔵しておく小屋です。

伝説では洪水の後で現在のパスー村が始まったとされる300年前から、人々が暮らしてきた伝統家屋にも、増改築などの変化が見られます。シェルバーノさんの家の食器戸棚の上部には英字新聞が貼られ、食器戸棚に飾られているトレーにはバターをのせたおいしそうなトーストが描かれていました。カラコルムハイウェーが運ぶのは、中国の陶器類だけではないようです。

(写真/文・山本質素)

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