ニューパスーの景観

2009年3月7日

パスー村から、カラコルムハイウェーを北へ車で15分。約4キロメートル離れたところに、パスー村の新たな耕作地、ニューパスーが開拓されています。ニューパスーには泉がなかったので、氷河からの水をニューパスーまで引いて、農業用水の水路に流して作物を育てています。ちょっとわかりにくいのですが、写真①の中央部の緑の木々の間から水が流れ出しています。緑の草木が生えているところが、水が引かれている道筋になっています。

水路に沿って整然と植えられたポプラの木の成長と(写真②、③)、耕作地の若いリンゴの木が、ニューパスーの10数年の歴史をあらわしていました。写真⑤は、ニューゴールデンアップルという品種で、主に換金用として栽培されているということです。

パスー村の人びとは、ニューパスーにそれぞれ8カナートの畑を持っています。境界は低い石積みで仕切られてありました。案内してくれた通訳のヤコブさんやファイサルさんも、ニューパスーに土地を持っています。ニューパスーの土地は、1984~87年の期間に、村の人たちがパスーりホームパネル(P・R・P)で相談して分けたそうです。ニューパスーには、水路や道路が整備され、電気も引かれていて、2006年時点で、9家族がここに家を建て、2家族が常住していました。2007年現在では、1家族だけが常住しています(写真⑥)。

ニューパスーからフンザ川沿いにパスー村が望めます(写真⑦)。300年前にその起源をさかのぼるとされるパスー村の人びとが、ニューパスーに新たな土地を求めた理由の1つに、パスー村の耕作地の一部がフンザ川の流れに削られていることがありました。
そしてもう1つの大きな理由に、カラコルムハイウェーの開通があります。カラコルムハイウェーによって外部との接触が容易になったことで、換金作物の栽培がおこなわれるようになりました。パスー村ではジャガイモ栽培が、そして、ニューパスーでは写真⑤のように換金用のゴールデンアップルの栽培がおこなわれています。
このような、貨幣経済の影響は、1992年にパスー村が開拓した「ビジネスエリア」にも見ることができます。ビジネスエリアは、パスー村とニューパスーとの中間に位置し、そこに新しい人が住むことを認め、1家族に30カナートの土地を提供することが決められているということです。

カラコルムハイウェーは、パスー村に、外国からの観光客とともに貨幣経済を運んできました。パスー村では、氷河から溶け出す水によって村の生活を継続させてきた「村づくり」から、貨幣経済の流れをくみこんだ「村づくり」への変化がすでに始まっています。その「村づくり」に、近年のパキスタン情勢の悪化が大きな影響を与え始めています。

(写真・山本質素/文・中島とみ子)

Posted in: あっちこっちパキスタン, ニューパスー — tomika @ 9:00:50

コメントはまだありません »

コメントはまだありません。

コメントをどうぞ